イタリアのカフェ文化

ヴェネチアのカフェ・フローリアン Caffè Florian

ヴェネチアのサン・マルコ広場にあるカフェ、フローリアンは現存するヨーロッパ最古のカフェだ。訪れてみると意外にもカフェは小さく、店内で実際に使われている場所も限られている。もしこのカフェにテラスがなかったら、日本のささやかな喫茶店とそう変わらないくらいの大きさだ。そんな一見ささやかなカフェは華やかな歴史に彩られている。もしここにフローリアンがなかったら?サン・マルコ広場が今ほど賑わっていることもなかっただろう。フローリアンはいつの時代もヴェネチア住民の生活の中心点だった。1720年にフロリアーノ・フランチェスコーにが開店したこの店はもともと「勝利するヴェネチア」という名で、当時は似たようなカフェも存在したものの、これほど長続きするカフェはどこにも存在しなかった。ここでは取引が行われ、経済状態が議論され、弁護士が依頼人を迎えていた。職人たちも、貴族も女性たちもやってきた。特に暖房設備が家になかったころは冬になるとこぞって人がやってきた。バルザックは「『フローリアン』は株の取引所であるとともに劇場のロビー、読書室、クラブ、それに告解の場所でもある。そこはあらゆる日常の用件を片付けるのに本当にもってこいのところで、いく人かのヴェニスのおかみさんたちは、自分の亭主が日頃どういう働きぶりをしているのか、なんにも知らないぐらいなのだ。というのもこの亭主どもは、手紙を書こうと思っただけでもうこのカフェへいってしまうのだから。」と述べている。
 フローリアンは地元住民だけでなく、現在に至るまで数多くの外国人にも愛されてきた。ヴェネチアに17ヶ月間滞在していた哲学者のジャン=ジャック・ルソーも、小説家のジョルジュ・サンドと恋人のアルフレッド・ミュセ、ドイツ人哲学者のショーペンハウアー、イギリスの芸術批評家、ジョン・ラスキンもこの店を訪れていた。世界一美しい広場、サン・マルコ広場にサンマルコ寺院がなくてはならないように、この広場に付随する生演奏付きのカフェの存在は欠かせない。その中でもダントツに歴史があり、常に真っ先に言及されるのがフローリアンだ。『ヨーロッパのカフェ文化』を記したクラウス・ティーレ=ドールマンはフローリアンの姿をこう語る。
「いわばヴェニスの公共施設とでもいうべき〈フローリアン〉の前を素通りする者などだれもいない。地元の人間でも外国の旅行者でも。少なくとも一日に一度はそこへ出かけていって、大理石の小さなテーブルにつき、黒い飲み物をちびりちびりやりながらクロワッサンやクッキーを少し、あるいは〈フローリアン〉特製のチーズ入りパイを食べ、隣の人とおしゃべりをしたり、入り口の横にある新聞掛けに掛けてある各国の新聞を一部手にとったりするのだ。そしてそのあいだに、ノスタルジーに耽りながら、あるいはいかにも観光客らしい好奇の眼差しで擬古的な壁画を眺めたり、またそれにふさわしい控えめな態度で、小部屋に集まったり、外のドアの前で鳩や人びとが群れ集うサン・マルコ広場、ナポレオンが「世界でもっとも美しいサロン」と呼んだこの広場を見やっているほかの客たちを観察するのである。
 5月から10月までのあいだ、たいていの客たちは一日中屋外で、アーケードの下にある革張りの椅子やサン・マルコ広場にまで出ている金属製の小さな椅子に腰を下ろす。ボーイたちが手慣れた身のこなしで注文をとり、給仕し、お金を集めているあいだ、客は多かれすくなかれ感激しながらカフェの小さなオーケストラに耳を傾ける。このオーケストラはシュトラウスのワルツからアルゼンチン・タンゴ、はては『ストレンジャーズ・イン・ザ・ナイト』にいたるまでじつに多種多様な世界各国の娯楽音楽をレパートリーとしており、広場の反対側にいるオーケストラとエレガントな競争をくり広げるのだ。少したつだけでもう、コーヒーを飲んでいる人びとの中に、刺激的でありながらも居心地の良い気分が生まれてくる。」(『ヨーロッパのカフェ文化』p.44) 
 これほどまでにサン・マルコ広場のカフェをうまくいい表した言葉は他にないだろう。ヴェネチアの歴史を見守ってきたこの暖かいカフェは、一見の観光客をも包み込む独特な雰囲気を今でも持っている。もしヴェネチアで1軒しかカフェに行く時間がないのなら、間違いなくフローリアンの店内に座った方がいいだろう。工事中でなければ基本的には店内から広場が一望できるはずで、自分は安全なところにいながらも街ゆく人を心ゆくまで眺めていられる楽しみを存分に味わうことができるだろう。窓のない店内には生演奏もきっと聞こえてくるはずだ。
 フローリアンは高級で、カプチーノが一杯10ユーロ程度する。それにプラスして一人当たり6ユーロの音楽チャージを支払う必要がある(子供は除く)その値段を知った客たちの半分くらいは席を立ち、ほかの店を探そうとする。ところが実際にはサン・マルコ広場のカフェはどこも値段はそう変わらない。(チャージ込みの店のメニューはもっと高い)四角い広場の中で生演奏をするカフェは世界に3軒しか存在しない。そして生演奏は微妙にカフェ同士の協定があるのか、一方が休憩に入るときに他方の演奏がいいタイミングで始まっていく。どちらも競争相手ではあるものの、客たちはその相乗効果を楽しむことができ、一度席についてしまえば演奏が完全に途絶える時間は数分で、あとは生演奏に耳を傾けながら世界一美しい広場とサン・マルコ寺院の絶妙なバランスを眺めつつ、お酒でもカプチーノでもアイスクリームでも楽しむことができる。個人的にはフローリアンのカプチーノは絶品で、これだけのために訪れたっていいと思う。また、回廊の下でコーヒーをすするのもあまりできない経験なのでおすすめだ。どうしても16ユーロは高いが店には入りたい、という場合には、実は店内のカウンターがおすすめで、ここではなんと同じカプチーノが5ユーロで飲めてしまう。とはいえ、サン・マルコ広場も生演奏も楽しむことはできないが・・・
 「〈フローリアン〉が水の都にあるほかの多くの店よりも高いというわけではないのだけれど、ここではある程度大枚をはたかなければならない。しかしたいていの旅行者はときがたつにつれ、高い値段はこの街へのある種の入場料なのだという考えになじんでしまったようだ。たいていは文句を言わずに金を払い、教会や美術館にあるティッツイアーノやティントレットやカルパッチョの作品であれ、またたえず姿を見せている芸術やメディア関係の名士たち、自分が訪れることで逸話が生まれる可能性があり、その分〈フローリアン〉を豊かにする名士たちであれ、そのようなものを見て楽しんだのでもとはとれたと思っている。」(『ヨーロッパのカフェ文化』p.48)そう、フローリアンのコーヒー代は、世界でここでしか味わえない幸福な時間を噛み締め、これからの人生に思いをはせる時間のための入場料なのだ。

 

 Piazza San Marco, 57, 30124 Venezia VE
フローリアンの向かいのカフェでの生演奏 夜が更けるほどに盛り上がる
フローリアンの向かいのカフェでの生演奏 夜が更けるほどに盛り上がる

ローマのカフェ・グレコ Caffè Greco

 「ローマの休日」で世界的に有名なスペイン広場の階段を降り、目の前のヴィア・コンドッティ通りを進んでいくと、イタリアの文学カフェとして真っ先に名前が挙がるカフェ・グレコが佇んでいる。世界的な知名度とは裏腹に落ち着いた印象の店を開けると、右手にはバーマンが忙しく仕事をし、立ち飲みできるカウンターが存在する。視線を元に戻すと、奥にはいくつもの空間が広がっている。この店は1760年頃、ギリシア出身のニコラ・ディ・マッダレーナがオープンし、現在まで続いている老舗のカフェで、歴史としてはベネチアのフローリアンの次に長いという。重厚感ある店内に飾られている多くの絵画は60年代になって装飾されたものだという。1680年代のスペイン広場付近には様々なカフェがあり、その頃すでに「真のローマの文化的中心地はスペイン広場周辺にあるいくつかのカフェである」と言及されている。
 カフェ・グレコを世界的に有名にしたのはイタリア人たちではなく、ローマに強い憧れを抱いていたドイツ人芸術家たちだ。実はいつの時代も世界各地でドイツ人たちはカフェ文化、サードプレイスの発展に深く貢献しているらしい。フランス人より先にモンパルナスのカフェを占拠しはじめたのもドイツ人や中欧出身の芸術家だし、アメリカのサードプレイスの原型となったのも、移住したドイツ人たちがビールを楽しむために作った集いの場所だった。さて、ゲーテが生きていた時代、ドイツの芸術家たちの間では、ローマに対する熱狂が激しくなっていた。ゲーテは手紙の中でローマに対する想いをこう述べている。
 「というわけで明日の夜はローマだ。ぼくはそれがいまもまだほとんど信じられない。この願いがかなったなら、ぼくはそのあといったいなにを望めばいいんだろう・・・・」ゲーテは1人で決心した。「この中心点を訪れることを。あらがいがたい欲求がぼくをそこへ引き寄せたのだ。そうだ、ここ何年かそれは一種の病気のようなものになり、それを癒すことができるのは、この地を実際に眺め、この地に身を置くことだけだったんだ。いまでこそ白状できるが、ついには一冊のラテン語の本も、イタリアの風景を描いた一枚の絵も、もはや眺めることができなくなってしまったんだ。この国を見たいという欲求は熟しすぎていた。(※1)」そしてすでに著名であった身分を隠してローマに渡ったゲーテは、偽名を使いながらもスペイン広場のカフェ・グレコを訪れることになる。
 ローマに渡った芸術家たちは日中は遺跡や教会、アーティストのアトリエなどを訪ね、見聞を広げながらも、黄昏時になるとカフェ・グレコへと戻っていった。というのもゲーテによれば「自然や芸術が美しいものであるにせよ、しかし調和のとれた思想の交換、これ以上に高いものはないからだ。(・・・)これによってはじめて、ぼんやりとした感情がことばになり、意識化される(※2)」のだ。カフェ・グレコはいつも外国人芸術家たちで賑わっていた。彼らはこのカフェで誰かと出会い、見聞きしたことに対して意見交換するのを楽しみにしてやってきた。カール・フィリップ・モーリッツはこう述べている。「この地の外国人たちはみな活発にまじわりあっている。(・・・)というのもみなが、ここでの滞在のひとつひとつの瞬間をおのれをより完全なものにするために利用し、芸術における偉大なもの、美しいものにたいする自分の感覚を高め、繊細にするといういわば社会的目標によって結び合わされているからだ。社交上の歓談や会話の大部分はこのことにかんするものだ。(※3)」
 ゲーテのように、芸術の世界に関わる者たちはヨーロッパの芸術の起源を求めてローマへと憧れをつのらていく。とくにゲーテのイタリア滞在後、イタリア旅行は「グランド・ツアー」と呼ばれ、ドイツ人だけでなく、ヨーロッパ全体の知識人や芸術家たちにとって必要不可欠な旅となっていく。その際にローマで彼らが落ち合うことになった場所、それがカフェ・グレコだったのだ。スペイン広場周辺には他にもカフェがあったとはいえ、ここが特にドイツ人芸術家に選ばれたのは、コーヒーが美味しかっただけでなく、喫煙可能という理由も重要だった。このカフェは煙のたちこめるカフェだったが、他の店は禁煙や分煙だったのだ。ここはあまりに煙がたちこめていて、誰が誰かもよく見分けられないほどだった。ローマからドイツに帰国した芸術家たちはその後ナザレ派という芸術運動の中心人物になっていく。カフェ・グレコはその後もドイツ人だけでなく世界中の芸術家たちのローマ滞在の拠点として、スタンダールやコローはじめ、様々な芸術家を受け入れた。19世紀後半のガイドブックにも、世界中からの芸術家がローマにきて集う店として紹介され、パスカレーラという人物は「誇張なしに、1870年までローマにおける国際的な芸術家の集いといえばカフェ・グレコだった」と述べている。
 現在は主に観光客が集う店だと思われているが、それでも奥の部屋へ行けば行くほど独特の重厚感ある雰囲気がある。飲み物の値段は他店に比べて倍近いものの、非常に静かで落ち着いており、いくらゆっくりしていても大丈夫そうな雰囲気だ。美術館や教会を鑑賞した後、かつての芸術家たちに想いをはせたい気持ちになったら、足を伸ばしてみたらどうだろう。このカフェにまだ宿る独特の雰囲気がインスピレーションを与えてくれるかもしれない。ちなみにこの店にはイタリアには珍しいアイスカフェラテなどもあり、値段は高いがけっこういける。

 

Via dei Condotti, 86, 00187 Roma RM
※1 クラウス・ティーレ=ドールマン『ヨーロッパのカフェ文化』p.238
※2 前掲書p.242
※2 前掲書p.243